4)ポリアンチモン酸イオンの反応性の研究 本研究ではこれまでその存在すら忘れかけられていたポリアンチモン酸イオンの単離に成功する事が出来た。今回単離に成功したポリアンチモン酸イオン Sb8O12(OH)204-を starting material として様々なポリアンチモン酸を合成していくことがこの化学の解明の近道である。 ポリ酸イオンの合成は単量体の金属酸素酸イオンや既知のポリ酸イオンに酸を加えて、縮合させたり、塩基と反応させて分解させるという方法を用いる。そこで新規のポリアンチモン酸イオンの合成もこの方法で行いたいと考えている。その実験を効率良く行うためにはSb8O12(OH)204-がどれだけの量の酸や塩基と反応するかを調べなければならない。そこで、 Sb8O12(OH)204-の酸及び塩基に対する反応性を簡単な電位差滴定によって調べる事にした。また、酸や塩基との反応以外で新規のポリアンチモン酸イオンの合成の可能性を調べるため、熱に対する反応や有機金属基との反応を試みた。 4−1)酸、塩基及び熱に対する反応 4−1−1)酸に対する反応 TBA4Sb8O12(OH)20 0.350gをイオン交換水に溶かしメスフラスコを用いて50ml (2.8mmol/l) にしたこの溶液100mlをビーカーに移した、この溶液にpHメーターに接続したガラス電極を浸した。この溶液に標定した0.014N塩酸をビュレットから約1mlずつ滴下しpHを測定した。pHの測定は原則としてpHメーターが5分間安定であるのを確認してから行うこととした。 4−1−2)塩基に対する反応 TBA4Sb8O12(OH)20 0.347gをイオン交換水に溶かし、メスフラスコを用いて50ml (2.8mmol/l) にしたこの溶液を100mlビーカーに移した。この溶液にpHメーターに接続したガラス電極を浸した。標定した0.0093N TBAOH をビュレットから約1mlずつ滴下しpHを測定した。pHの測定は原則としてpHメーターが5分間安定であるのを確認してから行った。 4−1−3)結果 塩酸の滴下量とpHの変化の関係をグラフ1に示す。また、n とpHの変化の関係をグラフ2に示す。n は [(H+の全分析濃度) − (遊離したH+の濃度)] / (アンチモン酸の全分析濃度) である。つまり、ポリアンチモン酸イオン1個が消費するプロトンの個数を示している。塩酸を滴下し始めてから10mlまではpHがほぼ一定の変化をしており、pHメーターも安定であった。しかし、11ml滴下するとpHメーターは不安定となり、一定の値に落ちつかないという現象を示した。従って、この点では45分後のpHを示した。Sb8O12(OH)204-1当量に対して塩酸10mlが1当量になる。従って、このアニオンが酸1当量と反応していることを示唆している。また、塩酸の滴下量11mlー20ml付近もpHは不安定であった。そのため、これらの点では塩酸滴下後5分のpHを測定した。これらの値はおよそア0.02−0.03の誤差がある。この辺りではアニオンが加水分解反応を受けて、かなり不安定なアニオンが生成していると思われる。また、塩酸約2当量加えた点でpHが安定となった。従ってこの辺りで比較的安定なポリアンチモン酸イオンが、もしくはニュートラルなポリアンチモン酸が形成されている可能性がある。 以上を反応式で表わしてみると次の様になる。 Sb8O12(OH)204- + H+ → Sb8O12(OH)19(H2O)3- Sb8O12(OH)193- + H2O → H[Sb(OH)6] + [Sb7O12(OH)13]- + OH- [Sb7O12(OH)13]- + H2O → H[Sb(OH)6] + [Sb6O12(OH)6] + OH- 実際にこの様な反応が起こっているかどうかを決定するには物質を単離する以外に方法はないであろう。 TBAOH水溶液滴下量とpOHの変化の関係をグラフ3に示す。また、n とpOHの変化の関係をグラフ4に示す。TBAOHを滴下し始めてから30ml程度まではpOHがほぼ一定の変化をしており、pHメーターも安定であった。しかし、この辺りから徐々にpOHが不安定となったきた。このあたりでは5分後のpOHを示している。これらの値はおよそア0.02−0.03の誤差がある。この点は塩基約2当量加えた点にあたる。徐々に分解反応がおき、不安定なアニオンが形成されていると考えられる。 また、40ml程度加えたところでpOHの変化が急激に大きく、かつ不安定になった。このあたりでは20分後のpOHを示している。45ml程度のところ辺りになるとpOHは不安定であるが、値は変化しなくなった。この点は塩基約3当量加えた点である。 TBA4Sb8O12(OH)20が塩基によって分解され、単量体の[Sb(OH)6]-が生成するとすると次のような反応式が考えられる。 Sb8O12(OH)204- + 4OH- + 4H2O ョ 8H[Sb(OH)6]- この反応式によるとTBA4Sb8O12(OH)201当量に対して塩基4当量が反応してモノマーが生成することになる。しかし、今回の滴定では塩基3当量と反応している事を示唆するデータを得た。従って、[Sb(OH)6]- のモノマーにならずに別のポリアンチモン酸イオンが形成されている可能性が高いと考えられる。 4−2)塩酸との反応 4−2−1)合成 TBA4Sb8O12(OH)20粗製物1.0g (4.0 エ 10-4mol) をクロロホルム4.0mlに溶解し濃塩酸 (11.7N) 0.034ml (4.0 エ 10-4mol, 1等量) を加えたところ、白色沈殿を生じた。デカンテーションで分離後、ジエチルエーテルで洗浄し、真空デシケーター中で真空乾燥させた。収量0.14gであった。 IR (図8) ( KRS-5, 1000−400 cm-1 ) 970, 802, 770, 720, 622, 532, 464. また、TBA4Sb8O12(OH)20粗製物1.0g (4.0 エ 10-4mol) をクロロホルム4.0mlに溶解し濃塩酸 (11.7N) 0.070ml (8.0 エ 10-4mol, 2等量) を加えたところ、白色沈殿を生じた。デカンテーションで分離後、ジエチルエーテルで洗浄し、真空デシケーター中で真空乾燥させた。収量0.23gであった。 IR (図9) ( KRS-5, 1000−400 cm-1 ) 970, 880, 772, 720, 672, 642, 622, 560, 464. 4−2−2)結果 4−1)の結果を踏まえてTBA4Sb8O12(OH)20粗製物に塩酸1等量を加えてみたところ、白色沈殿を生じた。そのまま撹拌しても沈殿はクロロホルムに溶解しなかったこと、またTBAClはクロロホルムには溶解し易い事を考えると、この沈殿はTBA4Sb8O12(OH)20とは異なるポリアンチモン酸塩である可能性が高いといえる。この沈殿のIRスペクトルは結晶のものとは異なっており、何らかの反応が起こっていると考えられる。また、塩酸2等量を加えてみたところ、同様に白色沈殿が生じた。IRスペクトルからは、断定は出来ないが、異なる化合物が生じているようである。今後はこの物質の単離を進める計画であるが、反応条件 (反応溶媒、酸) 等を変化させて合成することも検討している。 4−3)熱を与えた時の反応 4−3−1)熱の影響 (a)粗製物の場合 TBA4Sb8O12(OH)20の粗製物2.0g (8.0エ10-4mol )をクロロホルム4mlに溶かし、90。Cで窒素下で16時間還流を行った。また、これにジエチルエーテル2mlを加えた溶液も同様にして還流を行った。また、TBA4Sb8O12(OH)20の粗製物2.0g (8.0エ10-4mol )をテトラヒドロフラン4mlに溶かし同様に還流を行った。 (b)結晶の場合 TBA4Sb8O12(OH)20の結晶0.1g (4.0エ10-5mol )をジクロロエタン4mlに溶かし、100。Cで窒素下で還流を行った。1時間半程度経過したところで溶液が白濁した。更に16時間還流を続けた後、カニュラで漉過 (漉紙はNO.7) 後、オイル状の生成物をエーテルで洗浄し真空乾燥した。収量0.08gであった。IR (図10) ( KRS-5, 1000−400 cm-1 ) 880, 718, 638, 528, 460. 4−3−2)結果 粗製物をクロロホルムに溶かして熱を加えるとガラス状の物質に変化した。おそらく熱を加えたことによってポリマーに変化しているのではないかと考えられる。しかし、これにジエチルエーテルを加えて還流をかけた方は一日経過しても変化していなかった。また、テトラヒドロフラン溶液でも同様の現象が生じた。したがって、エーテルやテトラヒドロフランがポリアンチモン酸イオンと結合して縮合が起きるのを阻止しているのではないだろうか。また、結晶をジクロロエタン中で熱をかけると白色沈殿が生じた。この物質のスペクトルを測定したところ、4−1)の実験で得られた物質のものとほぼ一致していた。従って、TBA4Sb8O12(OH)20は熱や酸によって縮合し、別のポリアンチモン酸塩を形成している可能性が高いと言える。 4−4)まとめ TBA4Sb8O12(OH)20を starting matirial として新規ポリアンチモン酸イオンの合成を行う為の予備的な実験として酸、塩基及び熱に対する反応を調べた。その結果、TBA4Sb8O12(OH)20は酸と反応して、或は熱反応によって縮合し、別のポリアンチモン酸塩を形成しているのではないかと考えられる結果を得た。今回の実験では詳細まで調べることは出来なかったが、今後これらを単離する為の合成条件の確立を行っていく予定である。酸との反応では、溶媒にクロロホルム、酸に塩酸を用いたが、酸として有機溶媒に可溶なトリクロロ酢酸を用いることも考えている。また縮合反応を水溶液系で行う事も考えている。即ち、水溶液系でTBA4Sb8O12(OH)20と酸を反応させ、溶媒を除去して粗製物を合成した後、有機溶媒中で結晶化させるとうまくいくかもしれない。Sb8O12(OH)204-が酸と反応して縮合が起こっていることはほぼ確実であると考えている。従って、今回単離に成功した以外のポリアンチモン酸イオンも存在する証拠を得たと考えている。 塩基との反応に対しては現段階では何とも言えないが、酸との反応と同様の研究を進めていく予定である。しかし、NaOHやKOHと言った塩基を用いる事が出来ないなど、反応条件の選択肢が少ないため合成が困難かもしれない。 4−5)有機金属基との反応 ポリアンチモン酸塩の結晶化は 冬季は再現性が良いが、夏季はかなり悪くなった。そこで、結晶性の向上を目的にH[Sb(OH)6] : TBAOH = 2 : 1 で得られた粗製物に有機金属基を反応させてみることにした。また、これまで不安定で単離出来ないであろうと考えられていたポリ酸イオンが有機金属基が結合することによって安定化して単離された例があり13)、ポリアンチモン酸においてもその可能性があると考えた。 有機金属基としては[Cp*RhCl2]2を用いることにした。[Cp*RhCl2]2は簡単に合成でき、またCp*には15個の磁気的に等価なプロトンが存在するため、1H NMRで反応の追跡が容易であるという利点がある。また、Cp*の立体障害により、不安定な化合物が安定化する可能性が高い。そのためこれまでポリ酸イオンに担持させる有機金属基として非常によく用いられている。 4−5−1)TBA4Sb8O12(OH)20 : [Cp*RhCl2]2 = 2.5 : 1の合成 [Cp*RhCl2]2は文献14)に従って合成し、TBA4Sb8O12(OH)20は粗製物を用いた。また反応はオープンの状況で行った。これは以下の実験でも同様である。 シュレンク管中で[Cp*RhCl2]2 0.05g (0.08mmol)をクロロホルム4mlに溶かした溶液にTBA4Sb8O12(OH)20 0.50g (0.20mmol)をクロロホルム2mlに溶かした溶液を徐々に加えると橙色の沈殿が生じた。2時間撹拌後、カニュラで漉過 (漉紙はNo.5A) し、エーテルで洗浄後 (10mlエ2) 真空乾燥した。得られた物質は若干吸湿性であった。収量0.03gであった。 1H NMR (CD3SOCD3, TMS): d 3.17 (m, 32H), 1.70 (br, 15H), 1.57 (m, 32H), 1.32 (m, 32H), 0.94 (t,48H). 4−5−2)TBA4Sb8O12(OH)20 : [Cp*RhCl2]2 = 2 : 1の合成 シュレンク管中で[Cp*RhCl2]2 0.05g (0.08mmol)をクロロホルム4mlに溶かした溶液にTBA4Sb8O12(OH)20 0.40g (0.16mmol)をクロロホルム2mlに溶かした溶液を徐々に加えると橙色の沈殿が生じた。2時間撹拌後、カニュラで漉過 (漉紙はNo.5A) し、ジエチルエーテルで洗浄後 (10mlエ2) 真空乾燥した。得られた物質は若干吸湿性であった。収量0.08gであった。 1H NMR (CD3SOCD3, TMS): d 3.17 (m, 32H), 1.69 (br, 15H), 1.57 (m, 32H), 1.32 (m, 32H), 0.94 (t,48H). 4−5−3)TBA4Sb8O12(OH)20 : [Cp*RhCl2]2 = 1.5 : 1の合成 シュレンク管中で [Cp*RhCl2]2 0.05g (0.08mmol)をクロロホルム4mlに溶かした溶液にTBA4Sb8O12(OH)20 0.30g (0.12mmol)をクロロホルム2mlに溶かした溶液を徐々に加えると橙色の沈殿が生じた。2時間撹拌後、カニュラで漉過 (漉紙はNo.5A) し、ジエチルエーテルで洗浄後 (10mlエ2) 真空乾燥した。得られた物質は若干吸湿性であった。収量0.30gであった。 1H NMR (CD3SOCD3, TMS): d 3.17 (m, 32H), 1.69 (br, 15H), 1.63 (s, 15H), 1.57 (m, 32H), 1.32 (m, 32H), 0.94 (t,48H). 4−5−4)TBA4Sb8O12(OH)20 : [Cp*RhCl2]2 = 5 : 1の合成 シュレンク管中で [Cp*RhCl2]2 0.05g (0.08mmol)をクロロホルム4mlに溶かした溶液にTBA4Sb8O12(OH)20 1.0g (0.4mmol)をクロロホルム2mlに溶かした溶液を徐々に加えると橙色の沈殿が生じたが、半分程度加えたところで沈殿が溶解し黄色透明な溶液となった。更にTBA4Sb8O12(OH)20溶液をすべて加えて2時間撹拌後、ジエチルエーテル20mlを加えるとオイル状の物質を得た。デカンテーションで分離後、ジエチルエーテルで洗浄後 (10mlエ2) 真空乾燥した。収量0.57gであった。 1H NMR (CD3SOCD3, TMS): d 3.17 (m, 32H), 1.57 (m, 32H), 1.32 (m, 32H), 0.94 (t, 48H). 4−5−5)結果と考察 TBA4Sb8O12(OH)20 : [Cp*RhCl2]2 = 2.5 : 1の合成において、[Cp*RhCl2]2溶液にTBA4Sb8O12(OH)20溶液を加えると黄褐色の沈殿が生じた。4分の3程度加えた点まで沈殿が生じ続けたが、更に加えると沈殿がだんだんと溶解し始め、全て加えた点では若干の沈殿が残っているだけであった。そこで混合比を2 : 1, 1.5 : 1にして反応させたところ、TBA4Sb8O12(OH)20の比が小さいほど沈殿の収量が大きくなった。これらの沈殿の1H NMRでは、1.6-1.8ppm付近にCp*に起因すると思われるブロードな吸収が見られた (図3) 。この吸収の積分値は1.5 : 1で得られた沈殿のものが一番大きく、TBA1個に対してCp*2個存在している事を示唆している。しかしながら、3 : 1の1H NMRには[Cp*RhCl2]2のピーク (1.63ppm) が見られる。従ってこの段階ではTBA4Sb8O12(OH)20と [Cp*RhCl2]2 は完全には反応していないと考えられる。また、5 : 1の合成ではTBA4Sb8O12(OH)20溶液を半分程度加えた所、即ち混合比が2.5 : 1から3 : 1の状態になった時、沈殿が溶解し黄色透明な溶液となった。そこでジエチルエーテルを加えたところ、オイル状の物質が生じた。そこで1H NMRを測定したが、Cp*のプロトンによると見られるピークはほとんど見られなくなっている。 図11 1H NMRスペクトル (横軸はppm単位, 1目盛り0.2ppm) TBA4Sb8O12(OH)20 : [Cp*RhCl2]2 = (a) 1.5 : 1 (b) 2 : 1 (c) 2.5 : 1 (d) 5 : 1 1.2-1.4ppm付近ならびに1.57ppmのピークはTBAのプロトンによるピークである。1.6-1.8ppm付近のブロードな吸収はCp*のプロトンに起因するものと考えられる。 このスペクトルから、まず[Cp*RhCl2]2にTBA4Sb8O12(OH)20を加えることによりカチオン交換反応が生じて[Cp*Rh]xTBAySb8O12(OH)20が形成され、更に過剰にTBA4Sb8O12(OH)20を加えることによって逆カチオン交換反応がおこり再びTBA4Sb8O12(OH)20が形成される、と考えることが出来る。しかしながら、それだとCp*の1H NMRがブロードになっている理由がはっきりしない。重アセトニトリルや重ジクロロメタンといった溶媒で測定を行っても同様の結果がでており、単なる溶媒効果によるものでは無い可能性が高いと考えている。このようなNMRが観測されるとダイナミクスがある可能性がある。そのように考えるとCp*Rh基はSb8O12(OH)204-と結合していると解釈できることになる。この現象の研究は今後の研究課題であると同時にポリアンチモン酸の化学の解明には必要であると考えている。 従ってTBA4Sb8O12(OH)20を [Cp*RhCl2]2 と混合した場合、何らかの反応は起こっていると考えることは出来る。そこで、これらの沈殿の結晶化をアセトニトリル中で試みたがもやもやした沈殿もしくはオイル状の物質が生成していまい、結局現在まで成功していない。従って得られた物質がCp*Rh基がポリアンチモン酸に結合しているのか、又は単にカチオン交換が起こっているだけなのかは現在のところ明らかではない。 ここまでの結果としては、TBA4Sb8O12(OH)20は [Cp*RhCl2]2 と反応して別の化合物を形成することが確認できた。またそれはTBA4Sb8O12(OH)20の粗製物よりも吸湿性が低い事からも明らかである。また1H NMRから考えると混合比を変化させることによって異なる化合物が形成されていると思われる。 |