『メビウス〜超物理学の講義〜』
さぁ、静かにしたまえ。今から超物理学の講義を行う。今日話をするのは、最近特に盛んになってきた、平行世界についての仮説である。最終回のテストには、ここを重点的に出すつもりだ。よく聞いておくように。 さて、最初に一つ断っておこう。この『超物理学』という学問が一般化する以前に広く信じられていたことは、すべて忘れてしまうべきだ。『平行世界』をSF的に扱うのも、選択の結果、無数に広がって行く『数学的可能性の世界』だと捉えるのも、間違いの元となる。 では本題に入る。 まず、意志というものが、非常に強大な力を持っている、ということを思い出して欲しい。 この力が外に向かったとき、ポルターガイストなどの超常現象が引き起こされるのは周知の事実である。いわゆるポルターガイスト、「騒霊現象」に限って言えば、7〜8割が思春期の若者や幼児によって引き起こされており、実際には霊が騒ぐと言うよりは「想念」が騒ぐと言った方が適切であろう。 では、その力が内に向かった場合はどうなるのか。空想、想像などと呼ばれる意志の働きと連動することによって、どの様な作用をもたらすようになるのか。 ここにいるすべての者が、心の中で〜多くは自分にとって都合の良い〜想像をしたことがあるだろう。それは新しい世界の『創造』である。意識は、それがあたかも『事実である』かのように認識し、『嘘・空想』であるという指摘には耳を貸そうとはしない。意識にとっての現実世界というのは、必ずしも物質世界である必要はない。この、意識の『誤解』は、ヴァーチャルリアリティにおいて人工的にリアリティを演出しようとすることと、近いだろう。そして、『誤解』が意志の力を十二分に受けたときに、平行世界は誕生する。 …。 少々話を急ぎすぎた。今までの所を、具体的に例を挙げて考えてみよう。 ではまず誰もがする通り、心の中に情景を一つ思い浮かべてみる。細部まで、もしくは非常に強く 思い描けば描くほど、それは実在感が増してくる。そしてMIND〜精神世界では、それは事実として扱われ、それに反することは黙殺される。このようなプロセスで一つの『世界』が構築されていくのである。より詳しく知りたければ2021年発表のアルフレッド・D・トーマス博士の論文「夢の中に住む人々について」を読むことをお勧めする。 …。さて、これで、思い描いた世界は一つの『現実』となった。その中に住む『彼ら』は人格を持ち、それゆえに人の創造を更に刺激する。そしてその物語は、やがてますます大きくなって行くだろう。完結したかに見える物語の中にも、多くの枝分かれが隠されている。端役にさえも「人生」はある、ということに気付くのに、そう時間はかからないだろう。 この一本の『樹』とも呼びうる物語が、『現実』であり、『世界』である、ということは理解できただろうか?そうすると、次にはその存在が一体どこにあるのか、ということが問題になる。心の中、と答えれば、それが『実在』する事と矛盾することになる では、どこか。 これはもう、虚時間で移ろう世界、と呼ぶ他あるまい。 虚時間、とは、我々の使用している実時間に垂直に交わる時間のことで、物理学などでは巨大な星の終焉について考えるときなど、非常に便利かつ必要不可欠なモノとなっている、虚数で計られる時間のことである。しかもこの虚時間というものは、単に思考の上で重要というだけでなく、ある点でいとも簡単に実時間と結びついているということが特筆すべき点であろう。 …ある点とは、ブラックホールである。 いわゆる「実時間における時の移ろい」とは切り離された世界、想像であり創造された世界は大小無数に存在するブラックホールの中にある、とは言えないだろうか。今はまだ誰も見たことのない場所、それが各々の内宇宙であり、一つ一つが『我々のいる世界』と等価値を持つのである。 さて、こうして話すと、『意志の世界』と『現実の世界』が等価値だということに疑問を持つ者も多いだろう。また、誰も見たことがない世界が何故人の内宇宙だと言えるのか、と思う者もいるかもしれない。それでは一つ聞くことにしよう。「お前はどこにいる?」と。それで全ての答えが得られるのではあるまいか。 我々はある人の内宇宙から生み出されたもので、そして同時に『ここ』に存在する。…思い出したかね?我々があらゆる人々の想像から生まれた、ということを。 …。 静粛に。 忘れていたことを嘆く必要はない。我々はあくまで『我々』であり、それを誇りとすべきなのだから。我々は『その人』の一部であり、『その人』は我々の一部である。完全な等価値であり、どちらかが従属するということはない。だから『忘れてしまって』生きることが必要となる。そうでなければおかしいではないか。我々、登場人物達が萎縮してしまっては、世界であるところの物語が停滞してしまう。これは由々しき事態である。 以上のようなことをふまえて、ここから先、この仮説は 『人が想像する、などということはおこがましい限りであって、世界は元から無数に存在し、人の意志の力がそれを選び、引き寄せるのだ』という結論を導くことになる。事実、我々は想像された瞬間に現れ、しかし同時に太古から居ることにもなるのだから、この結論は非常に正しい。ただ、この仮説を立てた須高氏がこの世界に存在しない、ということは残念である。彼は永遠にこの仮説の正しさを知ることはないだろう。…。 時間なのでこれで講義を終わる。この仮説の後半部分は非常に難解なので、諸君には説明しないでおくことにする。興味がある者は自分で調べた方が良かろう。ただし、彼がこの仮説を立てるに当たって使用した参考文献は、必ず目を通しておくこと。このプリントに一覧がある。
======================================== 『平行世界と小説(ノベル)についての仮説』参考図書『Never Ending Story』 ミヒャエル・エンデ 『ブラックホールとの遭遇』 ウォルター・サリバン 『ホーキングの最新宇宙論』 スティーブン・W・ホーキング ======================================== 古びた、本当に古びた紙が一枚、黒板の隅に貼られていた。触れれば粉々になりそうな紙。 教授が教壇から下り、教室にざわめきが広がる。天も地も純白一色の空間には、地平まで机とイスが並んでいた。 やがて、黒板は意志を持っているかのように、ゆっくりと白い文字を溶かしはじめ、生徒達の取ったノートも、誰も気付かないまま黒い文字を飲み込み、消してゆく。 一瞬だけその青年教授は、目に皮肉な笑みを浮かべると、誰も聞こえないほど小さなつぶやきをもらし…そして静かに踵を返した。 「さあ、静かにしたまえ。今から超物理学の講義を…」 凛とした声が響きわたる。彼の黒い瞳には、一種の諦めと、それ以上の何かが宿っていた。 「…。では、本題に入る」 老若男女、宝石で身を飾った者も、汚らしい姿の者も、尻尾のある者も、角のある者でさえも…皆一様に、真新しいノートに向かってメモを取り始める。 メビウスの輪が断ち切られるまで、いつまでも。 (了) 初出:1994年3月23日 「兵庫県立長○高等学校図書館報」
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