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〜 ドラえもんの意義の変容〜


人文演習で、ドラえもんについて論文を書かされたんだよ。

最近、小説を送ってないから、その代わり。

お暇だそうなので、空いてる時間にでもぱっと見てよ。

気が向かなければ、シフトを押しながらデリート。

もう発表して用済みなので、お好きに扱って下さい。


じゃ、またねぇ。










ドラえもんの意義の変容




数ある藤子(F)作品の中でも、ドラえもんは最も代表的な作品として、みんなに親
しまれています。僕は、そのドラえもんの世界を、他の藤子(F)作品と比較するこ
とによって、ドラえもんのみが持つ、意義を調べたいと思いました。


まずは、他の藤子作品にどのようなものがあるか、紹介したいと思います。

1,オバケのQ太郎
2,キテレツ大百科
3,エスパー魔美
4,パーマン

異論もおありになると思いますが、とりあえず、この4つが、代表的な藤子作品では
ないでしょうか。他にもビリケン、21右衛門、チンプイ等がありますがここでは、涙
をのんで割愛させていただきます。
これらの4つと、ドラえもんとを比較していきたいと思うのですが、ドラえもんにつ
いては、皆さんは知っていても、この四つは、知らない人もいるかも知れないので、
簡単に説明させていただきます。

まず、第一に『オバケのQ太郎』。この作品で、藤子不二雄が世にでたと言っても過
言ではないと思います。正太郎という子の家に、何の間違いか、Q太郎というオバケ
が居候してしまうと言うお話です。テレビや漫画では見たことある人は少ないかも知
れませんが、白く、頭に毛が三本のあのインパクトのある顔を見たことがない人はい
ないでしょう。
これは、藤子AとFの合作なので、入れるかどうか迷ったのですが、やはり、この作品
は藤子作品に欠かせないと思い、入れました。


そして二つ目。キテレツ大百科。自分のご先祖の天才発明家、奇天烈斎の残した発明
メモ帳を頼りに、現代のキテレツという少年が数々の発明品で、友達を助けます。一
応この話の主人公はキテレツなのですが、やはり、印象に残るのは、キテレツが発明
したコロッケ好きの侍ロボット、『コロ助』の方だと思います。
「我が輩はコロ助ナリよ」というコロ助の有名なセリフは、一度は聞いたことがある
のではないかと思います。


三つ目に、エスパー魔美。これは、絵描きの娘である普通の少女が、ある時を境に、
自分の超能力の素質に気づき、その能力のせいで、助けられたり、とんだ騒動に巻き
込まれたりする様子をコミカルに描いた作品です。


そして最後に、パーマン。これは、普通の少年が、バッドマンという他の惑星から来
た男からパーマンに変身するための『パーマンセット』を譲り受け、他の3人の仲間
と共に、町を危険から守るというお話です。



U,藤子作品の共通項


ここまで、藤子作品の説明をしてきたのですが、非常に説明がしづらかったです。
漫画というものは内容を非常に説明しやすいものです。
例えば、『ドラゴンボール』なら、7つ集めると願いが叶うというドラゴンボールと
いうボールを巡って、孫悟空をはじめとするキャラがドラゴンボールをねらう悪の軍
団と戦う。

『北斗の拳』なら、世紀末、飢えと貧困が人々を襲う中、地道に生きようとする人々
を悪の軍団が踏みにじる。そんな中、一子相伝の暗殺拳、『北斗七拳』の伝承者であ
るケンシロウがそんな輩を退治する。

悪の軍団というフレーズがこの上なく恥ずかしいですが、実は、これが藤子作品の説
明を難しくする要因を読み解くのに必要なキーワードなんです。
藤子作品にはこのような、ごく一般的に使われる、悪の存在がありません。
もし、このような悪の存在があれば、先ほどの、四つの漫画の説明は、すごく単純な
ものになります。

オバケのQ太郎にせよ、キテレツにせよ、明確な『敵』がいないため、内容の説明が
難しくなっています。
エスパー魔美など、せっかく超能力という特殊能力を持っているのだから、がんがん
戦わせればいいのに、敵がいないため、世にでることもなく、アクションシーンも数
えるほどしかありません。

これは、藤子作品全てに共通していることです。劇場版を除き、全ての作品には、敵
と言えるものが出てきません。これは、藤子不二雄の基本的なコンセプトに、起因し
ていると考えられます。

ちょっと、どこでそういう発言をしていたか忘れてしまったのですが、藤子氏は
「僕の漫画では、どこにでもある普通の町に、一つの不思議なものがやってくるん
だ」
と発言していました。

ここで重要なのは、どこにでもある普通の町、というところと、一つの不思議なもの
というところです。

この発言は、藤子作品全てに通じています。

まず、一つの不思議なものというところ。

『オバケのQ太郎』では、Qちゃんが、『エスパー魔美』では魔美が、その不思議なも
のの役割を担っています。

そして、キテレツ大百科では、コロ助にあたります。
オバケのQ太郎や、エスパー魔美は、すごく分かり易く、みんなも納得していただけ
ると思いますが、キテレツ大百科については、疑問を持つ人もいてるのではないかと
思います。

ドラえもんの四次元ポケットは、ドラえもんにくっついていますし、オバケのQ太郎
や、エスパー魔美の特殊能力は、彼ら自身が、保持しているものなのですが、キテレ
ツ大百科の場合、コロ助はキテレツに作られたことになっています。キテレツは、コ
ロ助だけではなく、時空を自由に移動できる機械などを次々と作り、キテレツ自体が
不思議な存在だと考えられないこともありません。コロ助は、キテレツの作った中で
も、扱いが特別なので、不思議な存在としての役割を背負っていることは間違いあり
ません。
となると、キテレツ大百科では不思議な存在が二つ存在することになり、先ほどの、
藤子氏の『普通の町に、一つの不思議な存在』と言う定義が崩れてしまいます。

ですが、やはり、どちらが不思議な存在かと言われれば、やはりコロ助の方でしょ
う。では、キテレツの方はどうかと言いいいますと、創造者に当たると思います。

オバケのQ太郎、エスパー魔美などは、作られたものではありません。ですが、ドラ
えもんやコロ助の場合、ロボットですので、必ず制作者はいます。ですが、ドラえも
んの場合は、制作者は物語上にはでてきません。ゆえに、これらの創造者は、藤子
(F)自身と置き換えることもできると思います。

ですが、このコロ助の場合、キテレツという創造者が、物語上に登場します。これ
は、作者からキテレツに『創造者としての権限のようなもの』が移行したと考えられ
るのではないでしょうか。
すごく曖昧な言い方になってしまいましたが、「キテレツは作者の分身」と言ってし
まうには、キテレツのキャラは確立され過ぎているので、こういう言い方しかできま
せん。

人物配置は、ドラえもんとよく似ているのですが、キテレツは、困ったことがあれば
すぐにドラえもんに泣きつくのび太と違い、発明はする、友達思い、頭は切れると、
かなり格好いいです。これは、ドラえもんとかぶらないようにするということととも
に、不思議なものである、コロ助の創造者としての威厳のようなものを表現するため
ではないだろうかと考えられます。

それと、ちょっと、強引なのですが、キテレツ大百科の登場人物は、ヒロイン以外の
メインキャラが、全員あだ名でお互いを呼び合っています。(キテレツ、トンガリ、
ブタゴリラ)キテレツ自身の、キテレツという名前も、実はあだ名です。これは、キ
テレツの創造者としての、色合いをできるだけぼやかそうとした末の、アイデアでは
ないだろうかと考えていますが、かなり無理があるような気もします。
ですが、ブタゴリラが熊田 薫であることはおろか、主人公のキテレツの名前が、木
手 英一であることも知らない人があまりにも多いことを考えると、あながち間違い
ではないようなきもします。


最後に、パーマンですね。これは、パーマン一号、二号、三号と、ブービーという猿
まで、パーマンセットを身にまとい、空を飛び、怪力をふるいます。一号、二号と
言っておいて、『一つの不思議な存在』もないもんだと思いますが、これは、パーマ
ンたち自身を、不思議な存在と捕らえるのではなく、パーマンセットという道具自体
に『不思議な存在』の役割をおいた作品である、と考えると、しっくりきます。
もし、仮に、パーマンたち自身を不思議な存在と仮定した場合、パーマンセットの一
部である、コピーロボットの説明が非常に難しくなってしまいます。


一つの存在というものを重視するならば、パーマンセットを持ってきた、バッドマン
こそが、不思議な存在ではないかという考え方もできるのですが、バッドマンの役割
は、不思議なものと、普通のものとの、橋渡しのような役割に当たると思います。

『キテレツ大百科』で言えば、奇天烈斎さまの発明帳、『ドラえもん』で言うなら、
タイムマシンと言ったら分かり易いのではないでしょうか。

タイムマシンがなければ、ドラえもんはやってこなかった、だからタイムマシンこそ
が、不思議な存在だ!と、ひねくれて考えることもできますが、やはり、不思議な存
在として、藤子氏が描こうとしていたのはドラえもんであることは明白です。
だから、やはり、ここは、パーマンセットに不思議な存在を当てはめるのが適当だと
思います。

このように、どの藤子作品にも、一つの不思議な存在というものが認められます。


藤子作品の、もう一つの特徴として、舞台が、必ず普通のありふれた舞台であるとい
うことです。


パーマンを例に取ってみますと、パーマンというのは、スーパーマンの『スー』を
取っただけですし、登場人物の『バッドマン』なんて、言わずもがなです。

しかし、パクリと一概に言えないのは、描こうとしているものが違うからです。パー
マンもスーパーマンも、日常は、互いに自分の生活を守るため、自分がスーパーマン
や、パーマンであることを隠しています。
でもスーパーマンの方は、スーパーマンとしての生活もあり、その生活と人間界との
生活の
パーマンにはそれがありません。あくまで、舞台は、日常の生活のみにとどめていま
す。

藤子作品の中に『21エモン』という未来を舞台にしたお話もあるのですが、あくま
で、未来の世界に住む普通の少年が主人公になっています。


このように、藤子氏は、自分の作品を描く舞台を、必ず、日常に設定しています。
これは、『誰にでも起こりうること』であるということを、それとなく言いたいため
だと思われます。


日常の中の、一つの不思議な存在。
これが、藤子作品の共通項です。



V,ドラえもんの特色


では、次にドラえもんと他作品との相違点を挙げてみたいと思います。

ドラえもんは、未来の世界から来た猫型ロボットです。それは、皆さんご存じだと思
いますが、何世紀からやってきたかというと、意見が分かれることがあります。21世
紀か22世紀か。
大半の人は22世紀だと思っていますが、確かドラえもんの初期設定では21世紀から来
た猫型ロボットでした。それが、いつの間にか22世紀から来たことになっていまし
た。
おそらく、21世紀が近づき、ドラえもんの存在が、疑わしくなったためと思われます
が、どうせするのなら、もっと先の未来にするか、未来の国からやってきたとだけ書
いて、時代設定をぼやかせればいいのです。

なぜ、一世紀後にこだわるか。
このことから、ドラえもんと他作品との違いを考えたいと思います。

未来を舞台にしたSFなどの場合、たいてい、物語の舞台となる時代を表現するのに、
ふたパターンに分かれます。

一つは『宇宙統一歴』等、架空の年号を使い、時代設定をぼやかせる。
もう一つは、『200X年』と表示し、西暦を匂わせる時代設定にする。

ドラえもんは、後者をより押し進めたものだと考えられます。

21世紀、200x年と言うよりも、より明確に実在する地球を舞台にしていることを意味
します。
何故、ここまで具体的な言葉を使ったのか、これが、ドラえもんと他作品の違いであ
り、他作品になくてドラえもんにあるものです。

他作品になくてドラえもんにあるもの、それは、『近未来性』です。

近未来性はそのまま、ドラえもんの世界と、現在の世界との『近さ』を意味します。

例えば、キテレツ大百科を例に取ってみると、コロ助は機械である必要性はないので
す。
先祖から伝わる魔法の本を参考に、キテレツが、コロ助を作っても、別に一つの不思
議な者という設定は崩されないため、そのように設定を変更しても構いません。

しかし、ドラえもんの場合は、ロボットでなくてはいけないのです。
そして、パーマンのように、違う星からの贈り物でもいけないのです。

なぜならば、ドラえもんは、人間達が自分たちの手で作らなければならないものだか
らです。


では、何故、ドラえもんに近未来性の要素を盛り込む必要性があったのでしょうか?

それは、ごく単純な理由だと思います。みんながドラえもんに感じること。
それは、『夢』です。

藤子氏は、この夢を与える役割を『ドラえもん』に課しました。そのため、ドラえも
んは、不思議なものという要素に加え、近未来性という要素をも受け持つことになっ
たのです。

普通の町が舞台となる藤子作品の場合、普通の町というのも、ドラえもんの場合、重
要なパーツになります。ドラえもんの世界を現代と同じように描くことによって、よ
り、近未来性が高まります。

夢を与えると言うことに藤子氏はこだわりました。
ドラえもんが、未来に大量生産されているのもその理由の一つです。エスパー魔美の
超能力のように、特別な一人の人にだけ授けられるのではなく、運動、勉学面で、平
均より劣ったのび太のところへ、ドラえもんはやってきます。

ドラえもんが、のび太の机から出てきたというのも、重要です。
机、と言う誰もが持っているものから、不思議なものを登場させることによって、読
者に身近さを感じさせます。

これが、B級小説にありがちな、国が、極秘に行っている研究所から、ドラえもんが
逃げてきた、もしくは派遣されたという設定なら、人間の力で作っているにも関わら
ず、身近さというものは薄らいでしまうでしょう。


『夢を身近に感じさせる。』

もっと、夢のあるように言えば、

『身近なところから夢を与える』、それがドラえもんの役割でした。


しかし現在、そのドラえもんの意義が、変容してしまったのです。




W,ドラえもんの意義の変容


ドラえもんを構成する、今まで説明してきたものの内の一つが、変容したため、ドラ
えもん自体の持つ意義も変容を余儀なくされたのです。


何が、変わったかを説明する前に、ちょっとしたクイズをして欲しいと思います。
下の問題を見て下さい。


第一問
ドラえもんがネズミを嫌いなのは何故でしょう?

第二問
ドラえもんは元々は黄色いのに何故青い?

分かりますか?

ドラえもん世代にとっては常識も常識、簡単すぎてクイズが成立しないぐらいです
ね。


第一問の答えは、まだドラえもんが未来の世界にいた頃、寝ている間に、ネズミに耳
をかじられてしまったから。
第二問の答えは、耳をネズミにかじられた後、鏡に映った自分の姿に青くなったか
ら。


…この答えを聞いて、よし!あってた!と思った方、間違いです。

こう思った方は、残念ながら、もう年ですね。


確かに、昔の設定ではそうでしたが、1995年に放映された、映画「2112年ドラえもん
誕生」で、設定が変えられたのです。その映画では、
ドラえもんがネズミ嫌いなわけは…
ドラえもんがまだ未来にいた頃、のび太の孫であるセワシが、粘土でドラえもんの人
形を作っていたのですが、どうも耳の形が上手く出来ませんでした。
そこで、ネズミ型の工作用ロボットに粘土づくりを手伝いさせようと、「ドラえもん
の耳をもう少し似せたいんだけど…」と命令するのですが、それを勘違いしたネズミ
ロボットは、本物のドラえもんの耳を、セワシが作ったドラえもん人形の耳に似せよ
うと勘違いして、ドラえもんの耳をガジガジとかじってしまうということになってい
ます。

ドラえもんが青くなったわけは…
ネズミ型ロボットに耳をかじられたドラえもん。「元気の素」を飲んで元気を出そう
と考えたのですが、間違えて「悲劇の素」を飲んでしまう。そのせいで三日三晩泣き
続けたドラえもんは、振動で体のメッキが剥がれて青くなり、ついでに大山のぶ代声
のガラガラ声になってしまった……という設定になっています。

ちなみに、先ほどの答えは、テントウ虫コミック11巻、巻末に載っていたものです。
ドラえもんが月刊だと言うことと、ドラえもんの最終巻を考えると、どのくらい昔の
ことかだいたいの見当が付きますね。あえて、言わないでおきます。


これらの変化をどう感じるかは個人の問題なのですが、僕はすごく現実的だな、とい
うのが感想です。
ネズミに耳をかじられた、と聞けば、何となくコミカルですが、機械の操作ミスで耳
を失ってしまったと聞けば、現実的を通り越して、残酷ささえ漂います。
確かに、耳のなくなった自分の姿を見て、青ざめるというのは、初めて知ったとき、
何故、ロボットなのに青ざめるんだ?とか、青ざめたままもとの色に戻らないとは何
事だ!そもそも、何て歯の堅いネズミだ!とか思ったりしたものですが、新しくなっ
たこの設定は、現実味が増し、一応納得のいくものになっています。


初期設定の変化というのは、重要なことで、意味なく変わるものではありません。
何故、現実味が増すように変わっていったのでしょう。
それは、この現代社会の変化によるものです。

ここで、本論に戻るのですがドラえもんを構成する要素で変容したもの。

それは社会です。

ドラえもんの世界設定は、藤子氏のコンセプト通り、普通の町を描いています。
ガキ大将、????のおいてある空き地、自然の豊かな裏山、鏡を割ると怒る雷親
父…


ところが、今の世の中では、もはやガキ大将という言葉は死語になり、ドラム缶のお
いてある空き地などどこにも見あたりません。裏山なども、学校帰りに寄ってみる範
囲ではとてもありません。

そして、昔はみんな放課後に遊んでいたはずの子供の内、四割以上が、塾などに通っ
て自由に遊べなくなっています。、
ドラえもんにもいつの頃からか、塾に行っているという子供が現れるようになりまし
たが、塾で勉強をしているシーンは、一度たりとも放映されません。
やはり、塾と夢は相反するもののようです。ですが、塾のシーンを描かないことに
よって、現実味は薄れてしまいました。


つまり、普通の町だったはずが、どこにも存在しない町になってしまったのです。

これが、藤子氏の他作品、キテレツ大百科や、パーマン、エスパー魔美などなら別に
構わないことなのです。ですが、ドラえもんには、これらの作品にはない役割があり
ました。

…近未来性です。


ドラえもんの世界と、現実の世界が離れると言うことは、ドラえもんの世界の未来
と、現実の未来の距離が離れることを意味します。

ドラえもんは、いつか未来にこんな世界がやってくるということを暗示する存在でも
ありましたが、その意味はもはや、反故にされています。

これで、ドラえもんの意義は消滅してしまうのかと思われましたが、やはり、長い間
みんなに親しまれてきたドラえもんは、別の意味づけをなされることになったので
す。


X,新しい意味づけ

ところで、ドラえもんの最終回というものを皆さんご存じでしょうか?

最近放映された映画でされた、ドラえもんが未来に帰ってしまうお話。
そのほかにも、藤子氏は、ドラえもんが当時、不人気であったため、2種類の最終回
を雑誌で公開しています。合計で三種類の内容があるのですが、その結末はどれも、
ドラえもんは未来に帰ってしまい、のび太はその悲しみにも負けず、強く生きていく
という終わり方になっています。

…でも、ドラえもん世代は、これ以外にも、もう一つ有名なエンディングを知ってい
るのではないかと思います。のび太、植物人間…といえば、聞いたことがない人の方
が少ないですね。

一応簡単にあらすじを言いますと、のび太は元々、植物人間で、ドラえもんも静香
ちゃんもジャイアンもスネ夫も、ぜんぶ、のび太の夢だったというお話です。

もちろんこれは、藤子氏が考えたものではありません。おそらく、藤子氏が病床にふ
せっていたため、流れたデマだと考えられます。


しかし、これとは別に、また新しいエンディングが、大勢の人に広がりました。
今度は口コミではなくインターネットを通じて…
残念ながら、その『のび太植物人間説』が流れた当時より、不安定な世の中ですの
で、内容も、より現実味を帯びたものになっているだろう、という考えを裏切り、内
容は希望に満ちています。

これは、チェーンメイルになった有名なお話です。創作にも関わらず、多くの人に読
まれました。今からそれをお配りするので、各自軽く目を通して下さい。


ある日、ドラえもんが電池切れで動かなくなるところからこのお話は始まります。
普通の猫型ロボットなら、バックアップを取り、電池を替えればすむのですが、その
バックアップ機能はこともあろうか、耳に内蔵されていたのです。電池を替えればド
ラえもんは動くようになりますが、のび太との思いでは消えてしまいます。そこでの
び太は、ドラえもんを直さないことを決断し、いつの日か、ドラえもんが記憶を持っ
たまま、動けるようになるように、必死で勉強します。ラストは、文章でお読み下さ
い。


のび太植物人間説が出ていた頃は、まだみんなは、ドラえもんの世界と、自分たちの
世界を重ね合わせていたのだと思います。確かに、のび太が植物人間だと言うことに
なれば、ドラえもんの世界と、自分たちとの世界はズレずに済みます。

そこで、ドラえもんの設定も、社会に合わせ、徐々に、現実的なものへと変わってい
きました。


しかし、あまりに現実的になりすぎるドラえもんに、みんな自分たちの世界を重ねる
のに、嫌気がさしてきました。夢を与える話が、現実的になってきて、読者が離れ
る、というのは漫画ではよくあることです。ですが、ドラえもんは、あまりにみんな
に親しまれすぎていたため、切り捨てるということができなくなってしまっていまし
た。

そこで、ドラえもんには、新しい意味づけがなされたのです。

ドラえもんの世界と、自分たちの世界は違うということを前提に、ドラえもんの夢を
与える、と言うコンセプトごと、『夢』として認識することによって、新しいドラえ
もんの意義を作り出したのです。


つまり、結論として、『夢を与える存在』であったドラえもんが、『夢』そのものと
して、神格化されたのです。


これが、僕の考える、ドラえもんの意義の変容です。




Y,新しい意味づけに対する意見


それに伴う意見は様々だと思うのですが、ずっと、ドラえもんが夢を与え続ける存在
として君臨することは不可能でしたし、作者が意図的に変えるのではなく、みんなに
愛されているが故に変わったことなので、僕は、よかったのではないかと思います。
でも、やはり、寂しく感じるというのも本音です。

ここで、最後になってしまいましたが、皆さんの意見を聞きたいと思います。

昔、ドラえもんに感じてたことと、今感じていることでは、やはり違うと思います。
それは、この、ドラえもんの意義の変容に非常に近いものがあると思います。

年齢を重ねると、ドラえもんを見て、いつかこんなことが起こるのではないかと昔
思っていた人でも、そのうち、ならないことを自覚します。

これが、夢を与えるものとしてのドラえもんの崩壊です。

けれど、起こらないと分かったからといって、無駄なものとは思わずに、ドラえもん
には、夢がある、などの言い方で、ドラえもんを表現するようになります。

これが、新しい意味づけです。


それが大衆レヴェルで行われたため、『夢』として神格化されたのです。





おしまい (ご苦労様)


                                    (GEN 1999.7)


N島K子はカナダがお好き!  Tear in Heaven   Someone Else?  
超はぷにんぐ   Sunshine Heaven, Moonlight Heaven
  ポリアンチモン酸イオンの合成と反応  Kiss from a Rose  強く儚い者たち
伝統的価値観と近代的価値観における「自由観」と”Mastery for service”の関連
ドラえもんの意義の変容  関西学院大学の経済効果  『メビウス〜超物理学の講義〜』

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