
社会不安と宗教
歴史の大原則の一つに、「社会状況が不安定ならば、宗教が発達する」というものがあります。
民衆は、世情の不安から逃れるために、宗教に救いを求め、不安をぬぐい去ろうとするのは、
今も昔も変わらないことであると考えられます。
現に、歴史をひもといてみますと、東大寺の大仏が建立されたのも、鎌倉新仏教が成立したのも
前者は、飢饉や災害を治めるためですし、後者は、元寇による社会不安によるものであると
考えられます。
三国志の時代もその例にもれず、朝廷内では、何人もの幼少の皇帝があらわれ、そして政治力のない幼帝を
うまく利用して、己の私腹を肥やし利権をむさぼる外戚や宦官の存在、そして彼らの宮廷内での
権力闘争があり、また、国内の情勢を見てみると、干ばつ・洪水という自然災害が度重なり、
農業生産が思うようにならないといった、「不安だらけ」の時代でした。
そして、現れたのが「太平道」と呼ばれる、宗教でした。
太平道
道教の一種である「太平道」は、教祖・張角のもと、貧しい病人への医療奉仕の団体として
その産声をあげます。
ほぼ、無償の医療奉仕であったため、民衆の人気は急激に上がっていきました。
教祖・張角がその頭巾に「黄色い布」をまいていたことから、太平道支持者達は、張角にまねて
黄色い布を頭にまくようになったとされています。(これが、後に黄巾賊と呼ばれる由縁です。)
まず、ここで重要なことが3つほどあります。
第一に、宗派名を見ていただければ分かるように、「太平」の世の中を目指したものであること。
第二に、弱者救済を目指したものであったこと。
第三に、「黄色」を目印に使ったこと。
一つめ、二つめのポイントに説明は不要だと思いますが、三つ目のにだけ、少し補足を。
中国には古くから、「五行思想」というものがありました。「万物は、木・火・土・金・水の
五つの要素から成り立っている」という考え方です。木を燃やせば火になり、火が燃え終わった後には
土が残り、土の中から金属は掘り出され、金属の表面には水がつき、水は木を育む、といったように
すべてのものは、ぐるぐる世の中をまわっていますよ、といった思想です。
で、なぜ黄色か?という話なのですが、黄巾の乱の際、黄巾賊が使用したスローガンに
「蒼天既に死す、黄天将に立つべし、歳は甲子に在りて 天下太平」
というものがありました。
五行思想に基づき、漢王朝の色を「蒼」とし、自分たちを「黄」と宣言することで、
自分たちの革命行動を正当化しようとしたわけです。
さて、民衆の圧倒的支持を得た「太平道」なわけですが、その組織が大きくなるにつれ、
理想である「平等」(太平を目指し掲げているから)と、指導者・張角を中心とした
ヒエラルキー(階級の設定)といった、自己矛盾を抱えるようになります。
そのような中、求心力の役目を果たしていた張角が病死(書によっては、戦死)してしまいます。
ただでさえ、自らの組織の中に矛盾を抱えていた黄巾賊ですので、
求心力を失った後は、急激にその勢力は衰えていきます。
(当然、曹操や劉備などの活躍による部分もあるのですが。)
求心力を失い、そして理想を無くした太平道信者は、完全に「賊軍」の
様相を伴うようになります。
太平道に「世直し」を期待した人民も、徐々にその期待感を失わせていきました。
この黄巾の乱は、革命としては、失敗に終わりますが、
新しい時代を切り開くきっかけとなりました。
五斗米道
太平道と同じく、道教の一種です。
(宗教の系統に「種」ということばを使っていいのかどうか?ま、気になさらずに)
この五斗米道の教理は、ある種、共産主義に基づいていると考えられます。
国家(この宗教は、指導者・張魯によって国家の形態をとっています。)の福祉に対して、
民衆は一定量の米(米の量にして五斗(約9リットル?換算間違ってるかも)を国家に治めます。
そして、基本的に国家の持ち物(倉庫にしまってある穀物他)は、領民みんなのもの
というような思想で、国家運営がなされていたようです。
(もちろん、建前と、ホンネは違うのでしょうが。(笑))
いずれにしても、教祖である張魯が人民から慕われていたことは確かなようです。
その理由として、曹操が漢中(張魯の国)を攻めたとき、徹底抗戦して破れた張魯を殺さず、
生かして配下にしています。これは、曹操が張魯の人気をあなどれないものと考え、
未だ安定していない漢中(曹操の本拠地から遠い)情勢を、安定の方向へともっていくために、
張魯を利用しようと考えたからだと思われます。つまり、曹操に「利用価値あり」と
一目置かれるほど、人民に対してのカリスマ性があったと考えられます。
余談となりますが、曹操はどうも「道教」系の宗教に寛大であったような気がします。
(他の項目であらためて書くかも)
青州に於いて、黄巾賊の残党を配下に組み入れた際にも、彼らに信教の自由は約束していますから。
まだ、確定した証拠とか見つけられていないので、なんとも言えませんが、
なんとなく、そんな気がしています。
単に、「利用できる物はなんでも利用してしまえ」っていう曹操の性格が
なせるわざなだけなのかも知れませんが・・・。(笑)